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2007年09月03日
ヱヴァ批評鑑賞
映画を見たあとは、批評を見るのが楽しい。なかなか盛り上がってるねー。
あのね、「TV版と同じ筋なのに、映像や設定の細かい違い以外に、何かが違う」と言うなら、
その点を誰かきちんと書きなさい。絵面しか見てないな、ほんと。
ラミエルが超強いとか綾波の鎖骨がきれいとかじゃなくて、
シンジ君とミサトさんの描写率が当社比で大変更されて、ほとんど二人劇になっているのです。
実質、あとの人は、ただの説明役か、群像劇の具ぐらいにキャラの影が薄くされている。
そこにものすごい意味があるのだが。。
たぶん普通の女の人とかだと、前に私が書いたのと似たような感想を持ったんじゃないかと思う。
今回の映画は恋愛劇ではないが、二人の人間の関係劇と見るとわかりやすい。
昔、「すべての喜劇は出会いと再会の劇であり、すべての悲劇は別れの劇である」という言葉を習ったが、
今回の「序」は一貫して「出会いの劇」だ。
シンジ君は己の孤独にではなく、人々との新しい出会いと過酷過ぎる関係に苦しむ。
特に己の存在を無視する父親の存在に。また当然、エヴァに乗るという重すぎる責任に。
で、ミサトさんは彼を精一杯、世界に迎えようとする役。とにかくめっさ本気でやる。その言葉と姿が素晴らしい。
シンジ君の抵抗や疑問も非常に鋭く根本的で、それだけに後の心の変化も素晴らしい。
今回の映画は実は、オーソドックスな文学テーマである「人生における出会いの素晴らしさ」を
至極ガッチリ描いているだけで、謎と言える謎なんてない。正直、ぜんぜんない。
ただ、あまりに現代という時代にフィットした形で異様に鋭いセンスでやってるので、圧倒的というしかない。
が、なぜそれを描くか?我々の現実の世界が、そういった心象を失いつつあるということか。
特にエヴァを見に来た世代の人間にとって。でもそれはちょっと性急な答な気がする。
映画の後半、シンジ君と綾波の間に、「人為的に運命付けられた出会い」が演出される。
これは恐らく、ずっと後にやって来る「別れの劇」の前振りだろう。
我々はTV版を通してシンジ君と綾波レイの2人が、日本アニメ史上最大のグロ悲劇を起こす事を既に知っている。
だが、それはもっと構造的で意味の深い、ベクトルの集中した悲劇として作り直されるのかもしれない。
シェークスピアがそうなのだけど、名作と言われる劇では、喜劇と悲劇は循環することが多い。
今回のヱヴァは四部の物語で、どんな循環を見せるのか・・・?残念がなら、正直さっぱりわかりませんw。
なんかだんだん腰砕けになってきたところで、以上。。
投稿者 cergey : 2007年09月03日 22:31